
シンポの論点の一つとなる「記者クラブ」の問題。
「なぜ、それが論点なのかを、ライター自身が勉強しながらブログに反映させていく」のシリーズ。①の続きです。今回は歴史を簡単に振り返り、「記者クラブ」が果たしてきた役割について考えようと思います。
日本新聞協会によれば、日本で記者クラブが誕生したのは第1回帝国議会が始まった1890年(明治23年)。歴史は非常に古いと言えます。その頃は近代日本政治の夜明けの時期に当たり、帝国議会のスタートは国民にとって大きな関心事でしたが、当時は新聞記者が議場でメモを取ることさえ禁止されていました。このため、在京の有力紙が中心となり、「議会出入記者団」を結成。(つまり、団結して政府に立ち向かったということです)。政府との交渉を続けた末、新聞記者用の傍聴席を議会内に設け、議会内容の筆記を認めさせました。浜口雄幸首相が暴漢に襲われて重症を負った事件に絡み、首相の容体を外国メディアに漏らしたとして、「時事新報」の記者が取り調べを受けた際は、記者クラブが共同決議を行って抗議し、政府に謝罪文を出させた実績もあります。
このように記者クラブの設立は、「議会の内容を伝えたい!」という記者達の思いによって実現されたものだったと言えます。そして、浜口首相の時のように、権力に立ち向かったという実績のある組織でした。権力側の情報操作に屈せず、国民の「知る権利」を守る組織としての意義が、記者クラブにはあったのです。それがなぜ今、問題になっているのか。①の時も同じ終わり方をしましたが(汗)。次回こそは核心部分に迫ります。